(アジャシャンティのサットサンより)
バイロン・ケイティをご存知でしょう。
彼女の話はまず
「どんなことに不平不満を感じていますか?」
こう問いかけることから始まるのです。
一般的にスピリチュアルの先生たちは
「愛とは...」
「平和とは...」
という感じで話し始めるわけですが
バイロンの場合は
「あなたは何が気に入らないんですか?
どんなことが
愛や平和や自由から
あなたを遠ざけているのですか?」
いきなりそう問いかけるんですよ。
大したものですよね。
「あなたは何が気に入らないのか
どんなことを批判的に見ているのか
どうぞ話してみてください。」
そう問われた人から
本音がたくさん出てくるんですね。
ほとんどの人は
そんな経験は初めてで
自分の中の不平不満に気付いて
ビックリするのです。
善良な人たちが(笑)
こんなふうに本音を吐きます。
「スーパーで私の前に割り込んできて
トマトを横取りした女性が許せない」
「まったくもう腹が立つ!!」
それはナゼかと聞かれると
「だって
人の前に割り込んではいけないでしょう?
それがルールですよ
良くないことです!!」
よくあるパターンですよね。
「こうあってはいけない」と
起こっていることありのまま
つまり「現実」に抵抗して
批判しているのです。
「こんなこと起こってはいけない」
「ルール違反だ」
「正しくない」と。
しかし「現実」は
そんな出来事にOKと言っているのですよ。
「割り込んでもいい
だって
彼女は割り込んだ。それが現実。
それが あるがまま
起こったことなのだから
それでOK」
私のお気に入りのスピリチュアルの先生に
アンソニー・デ・メロという人がいます。
お会いしたことはないんですけどね。
彼の本を読んだことがある方もいらっしゃるでしょう。
彼はイエズス会の神父さんなのですが
完全に目覚めていて
実にすばらしい人なんですよ。
彼はかつてリトリートで
最初にこんなことを言っていました。
「ひとつハッキリ言っておきましょう。
ここにいるみなさんは
誰も目覚めたくないのです。
目覚めのことなど忘れてしまいなさい。
これから私が言うことを
誰も聞きたくないでしょうが
さあ、ハッキリ言いますよ。
私もバカ。 あなたもバカ。
それを受け入れましょう!」
神父さんがこんなこと言うなんて
おもしろいですよね(笑)
自分たちはみんなバカなのだと
受け入れることができたら
「OK じゃあリトリートを始めましょう」
となるのですが
受け入れられないのなら
話にならないということなのです。
「覚醒」とは何なのか
彼はすばらしい定義をしていました。
最も的確な表現のひとつだと思います。
「覚醒とは何ですか?」という問いに対して
「すべてに完全に協調すること」
と答えたのです。
すばらしい表現ですよ。
あるがままに
決して
抵抗したり反論したりしない
ということですね。
完全に協調すること。
本当の私たちは
すでに いつも その状態なんですよ。
過去に起こったことも
いま起こっていることも
これから起こるであろうことにも
すべてに
完全に協調すること。
完全に協調できないと言っているのは
思考だけです。
抵抗したり文句を言ったりするのは
ちっぽけな思考だけなのです。
ですから
自分の考えや思いの中で
真実ではないものは何なのか知りたければ
こう覚えておいてください。
過去に起こったこと
いま起こっていること
これから起ころうであろうと
そういった
どんなことにでも
完全に協調せずに
抵抗や批判をして
分離を創り上げていたら
それは真実ではなく
偽りの幻想なんですよ。