2014/02/28

パラドックスと魔法


こちらから訳しました。


<ティム>

スピリチュアリティーと科学を融合させることは
世界とは何なのかを明らかにするために
とても強力な手段になると感じています。

ニューエイジのようなフワフワした思想ではなく
地に足の着いた実質的な形で

科学の力と
深遠なスピリチュアリティーの力

この両方から真実にアプローチして
目覚めへとつなげていくのです。
 
    
でもこれは
スピリチュアルの教えや世界観を
科学的にも正しいと主張しようということではないんですよ。

スピリチュアリティーと科学を照合するのではなく
まったく逆の視点から補完し合うということなのです。


<リック>

逆の視点といっても
スピリチュアルの教えと同じことを
科学が発見しているケースもありますよね。

たとえば
意識が統一場である、ということは
スピリチュアリティーとは無関係なところから
科学者たちも発見しています。


<ティム>

何をやろうとしているのか
詳しくは本に書いたのですが

私が重要視しているのは

まず第一に
目覚めの体験なのです。

頭で理解しているだけの状態から卒業して
実際に体験して知ること。

   
深遠なワンネスを直接体験すると
それまでに詰め込んだ知識などは
すべて落ちていって

驚きと同時に

「これを本当はずっと知っていたのだ」

「こんなに明らかなことに
 なぜ気付かなかったのだろう?」

という感覚と

人生に対する大きな信頼感や
存在の奇跡への深い感謝が生まれます。

ですから
私が最も大切にしているのは
哲学ではなく 直接体験なんですよ。

直接体験を通して
真実を自分で発見したり伝え合うこと。



それから

真実を私たちがより深く理解するために
新しい言語を創っていきたいと思っています。

伝統的なスピリチュアリティーの言葉は
パワフルではあるけれど
一定のイメージが付きものなので

固定観念が付けられていない
純粋でシンプルな言葉を使っていきたいのです。


物事を理解したがるマインドも
とても大切な道具なんですよ。

言葉から想像したり概念化することで
新しい目で世界を見る力があるのですから。


私が長年取り組んでいるのは

直接体験と言葉、
スピリチュアリティーと科学、
非二元と現象世界

両方を包括する
「両手利き」のアプローチです。

   ハート

ただし これは

「何であれ
  各自が信じることが真実なのだから
  何だっていいのだ

とか

どんな見解でも 
 単なる見解に過ぎないのだから
  何でも同じだ 

ということではないのですよ。

科学にも、哲学にも、禅にも、道教にも
それぞれに優れた洞察があるのだから

何かを拒絶することなく
融合させていきたいのです。


   balance*

真実は
根本的にパラドックスなのです。

パラドックスというのは
解決すべき問題ではなく

パラドックス自体が答えなんですね。



表面的な日常の世界、
つまり合理性が第一な現象世界では
片方が正解だったら もう片方は間違い
真実はどちらかひとつだけ。


でも量子の世界では
どちらも等しく正解になる。


科学では100年以上も前に
光の本質は
粒子でもあるし 波でもあると発見しましたね。

粒子なのか 波なのかは
人がどっちを見ているかで決まる。

 ~

どちらか一方だけが真実なのではなく
両方が等しく真実。

粒子であるというもの真実で
波であるというのも同時に真実であると。

このように

世界は根底まで突き詰めていくと
パラドックスなので

深遠な真実については
逆説的な思考が役に立つのです。

逆説的な真実が共存して補完し合う。
どちらも等しく重要。


これを
人生やスピリチュアリティーに当てはめると
たくさんの問題が消えていきます。


最近多くの人に
ワンネス体験や目覚めが起こっていますね。

しかしその体験は

ひとりの個人としての存在や
分離の次元への
拒否反応を起こすことも多いのです。
そんなのすべて幻想だ、無意味なのだと

非二元だけが真実で
分離は真実ではないというわけですね。

でも
あなたと私が分離した個人として現れている
というのも明らかな事実でしょう。

そして根底ではすべてがひとつ。

どちらも真実。
パラドックスなのです。


<リック>

それはとても大切なところですよね。

重力が本質的には存在しなくても
高いところから飛んだら落ちるように


量子力学の発見が事実であっても
ニュートン力学がウソだというわけではなく
両方が同時に事実なのですから。

先日インタビューしたある人は
「個人は存在しない」という事実を
人々に気付かせる活動をしていましたが

個人としての自分は
本質的には存在しないのだと気付いても

人間関係のゴタゴタで悩むことなんかは
相変わらず続いているんですよね。

  

<ティム>

最近は
ネオ・アドヴァイダと呼ばれるようなのも含めて
非二元の教えがすごい勢いで広まっていていますよね。

街角でもインターネットでも
「目覚めが起こった」人がたくさんいて
そこら中で誰かが非二元の話をしている。

非二元の教えは
強力な薬のようだと感じます。

現象世界の問題など消えてしまうけれど
副作用のように
人生は無意味だという虚無感を持つ人を
たくさん生み出している。

実際には
まだ人間として生きているのにね。


先日ワークショップで

現象世界も軽視されるようなものではなく
真実の一部であり
かけがえのないものだという話をしたのですが

ある参加者が
「やっと子供を作りたいという気持ちになった」
と話してくれました。

彼は 非二元の真実に目覚めてから

「世界は単なる幻想にすぎないのだ。
 なのになぜ その幻想にわざわざ
 子供という新たな存在を作り出すのか?
 無意味で虚しいじゃないか」

と感じていたけれど

ひとりの人間としての次元で生きることにも
情熱が戻ってきたということでした。


そのように
根底的な非二元の体験と同時に
ひとりの人間としての体験
両方を生きていける自由に気付くこと。

それが
私が取り組んでいる方向の本質なんです。


<リック>

目覚めが起こって 最初のうちは
非二元だけが真実だと言っていた人も

スピリチュアリティーが成熟していくにつれて
非二元だけではなく分離の世界も
両方が真実だという見方に
変わっていく傾向があるということを
以前話しましたよね。

その傾向は今でも続いているようですか?


<ティム>

はい、その通りなんです。

非二元について教えている立場の人でも
そのように変わっていくことがあります。


非二元への目覚めは終着点ではなく
新しい生き方の始まりなんです。 


   ☆

現象世界のことを幻想と言うけれど

単なる幻想ではなく
すごい幻想 なんです


とてつもない魔法なんですよ。

ヒンズー教では「マーヤ」と言いますが
幻想というよりむしろ
魔法という意味が強いんです。

   魔法のステッキ

意識そのものが分離なんです。

すべての源である存在そのものは
意識ではないのですが

それが
分離した現れ・二元性の体験を通して
意識になっている。

現象世界も 自我も 分離感も 思考も 
消し去るべき間違いなんかじゃなく
実に見事な魔法なんですよ




  




 




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