(アジャシャンティのサットサンより)
<アジャ>
退屈だということですが
あなたは
その状況をどのように捉えているんですか?
退屈だということですが
あなたは
その状況をどのように捉えているんですか?
何かに抵抗したり反対したりすればするほど
それは しつこく付きまとうのだということを
それは しつこく付きまとうのだということを
思い出してくださいね。
抵抗しているのはエゴなのですが
そうしている限り
「調和」をエゴ的な視点から観て
退屈だと感じる状態から
ますます抜け出せなくなるんですよ。
ますます抜け出せなくなるんですよ。
<質問者>
退屈に抵抗している限り?
<アジャ>
そうです。
「退屈」を嫌悪しなければどうなるか
試してみてください。
他のあらゆる状況と同じように
「退屈」にも
存在する権利があるのです。
「退屈」を嫌悪しなければどうなるか
試してみてください。
他のあらゆる状況と同じように
「退屈」にも
存在する権利があるのです。
「退屈」というのは
あなたがレッテルを貼らない限り
別に良くも悪くもないんですよ。
「退屈はよくない」と判断した途端
分離の幻想を生み出してしまいます。
「退屈」は
単なる状況です。
他のどんな状況と比べても
優れてもいなければ
劣っているわけでもなく
あらゆる状況と同じように
存在する権利があるのです。
そして
あなたが「退屈」を拒絶せず
他の状況と同じように
存在する権利を認めたとき
「退屈」は無くなります。
あなたが
「退屈」が存在する権利を認めないでいると
かたくなに
そこに留まり続けるのですが
そこに在っていいのだと十分に認めると
「退屈」は消えていくのです。
そこに在っていいのだと十分に認めると
「退屈」は消えていくのです。
試してみてください。
きっと驚くことになりますから。
<質問者>
わかりました。
ありがとうございます。
<アジャ>
何かに抵抗するということは
根本的に
あなたが何かに対して
「そうであってはいけない」と言っている
根本的に
あなたが何かに対して
「そうであってはいけない」と言っている
そうやって
何かが存在する権利を認めずにいると
それは
あなたの世界に
存在しても良いのだと認めると
それは
私たちが教え込まれた常識で考えると
まるで逆ですよね。
でも
私たちが教えられてきたことのほうが
アサミンさん、こんにちは。
返信削除久しぶりの記事アップで、またまた素晴らしいものを続けて掲載してくださって有難うございます。
「調和」をエゴ的な視点から観て退屈だと感じる状態・・・っていう表現、
おお~良いな~と思いました。
それで退屈だから、何かしなきゃ・・・と、在るがまま以外を求めるに続いていったりしますよね。
何も差別せず、除外しない在り方というのは、教えられず、区別して判断して何とかするってことを、教えられてきたんですもんね。
それにしても、その前の記事の、何も望まない、という望み・・・身に覚えがあります。(=´▽`)ゞ
空愛ジョイさん
削除こんにちは。お久しぶりです(*^^*)
そうですよね、私自身
早朝から夜中まで仕事仕事の多忙な世界から卒業して
ゆったりとした生活に慣れたとき
こんどは平和な毎日をとても退屈で苦痛に感じて
何かしなきゃ!と焦って泥沼に入り込んだ時期があったのですが
もうこのままでいいと開き直った途端に
楽しみが増えて毎日が充実し始めたので
この話は深く納得できました。
何も望まないという望みのループの話も
細かいけど重要なところを鋭く突いてくれて
おもしろいです^^