脳科学者のジル・ボルト・テイラー博士が
ある朝 脳卒中に見舞われ
左脳が機能しなくなったときに
右脳を通してニルヴァーナを発見したお話は
TEDのスピーチでご存知の方も多いと思います。
彼女の脳の話を聞くと
いわゆるエゴと真我は
左脳と右脳
と言い換えることができるのかも。
いまの文明社会において
習慣的に訓練され鍛えられているのは左脳。
でも分離のないエネルギーを見ているのは右脳で
過剰になっている左脳の働きを抑えることができたら
分離のない世界が誰にでも見える
ということなのかな
<ジル>
「私はひとりの個人という存在だ。
ここからここまでが私の身体で
そこからそこまでがあなたの身体。
私たちは分離している。」
そんなふうに感じているのは
左脳のちっぽけな細胞の寄せ集めだけなんです。
でも実際は私たちは分離などしていません。
左脳のちっぽけな細胞のかたまりが機能しなくなったなら
自分たちが分離しているなんて感覚はなくなるのですよ。
☆
<オプラ>
エックハルト・トールは
マインドを静かにするということ
つまり左脳を静かにすることについて話していましたが
あなたはそれができたということなんですね。
<ジル>
はい。
意図的にではありませんが、
左脳が完全に静かになる、という状態が起こったのです。
<オプラ>
エゴが消えたということですか。
<ジル>
そうですね。
「私」を認識する細胞が機能しなくなったのですから。
つまり、「私」というのは言語感覚なので
言語機能を失ったことで
「私」は消えてしまったのです。
ですから脳卒中が起こった日の午後
私は本質的に
おなかの中の赤ちゃんのようでした。
人生の記憶が何ひとつ無い状態です。
<オプラ>
それは
ワンネス、平安、すべての人との一体感など
それまで感じたことのなかった体験だったのですね。
☆
その感覚は真実なのでしょうか。
それとも左脳の機能が停止して右脳だけで知覚すると
そのように感じるのでしょうか。
<ジル>
そこが問題ですよね。
人間がうまく生きていくために
右脳と左脳どちらの能力も
バランスよく使えることが究極の目標です。
そしたら私たちは
誰もが大いなるすべての一部なのだという認識を持ちながらも
現実世界で生活することができるのです。
みんな同じ原子や分子を共有しているのですから
この惑星の兄弟姉妹なのです。
お互いがお互いの一部であれば
思いやり合うのも自然なことでしょう。
☆
<オプラ>
その体験から得た洞察のうち
いちばん大切なことは何ですか?
<ジル>
右脳の中心には
とてつもなく深い平安があるということです。
<オプラ>
つまりあなたは
ヨギや瞑想をする人々が求める「解脱」の境地に
至ったということですよね。
<ジル>
ええ、真の幸福です。
☆
<オプラ>
神を見たということですか?
<ジル>
私たちの本質が神だと言えるでしょう。
何をもって「神」と呼ぶかによりますが
自分と分離した何かの存在というわけではなく
私にとっては
流れるような しなやかな
穏やかな動き
大きなひとつのエネルギー、すべての知です。
<オプラ>
全知全能の存在とつながっていることを知った
ということですね。
<ジル>
そうです。分離していないということです。
☆
<オプラ>
解脱とは
単に思考が消え去った状態だと思いますか?
<ジル>
ええ、単に思考が消え去った状態です。
誰にとってもそうです。
<オプラ>
先日までの放送で10回にわたって
エックハルト・トールと
マインドを静めて内面の空間に入るということについて
話していたのですが
あなたが脳卒中で体験したのと同じことですよね。
<ジル>
そうですね。
私はそれを「右脳の意識」と言います。
単なる言葉使いの違いですよ。
みんな同じことを言っているわけですが
自分なりにしっくり来る言葉を使いたいだけです。
<オプラ>
私はこのようなことを長年研究していますが
エックハルト・トールは「意識」という言葉を使い
ある人は「魂」と言ったり
またある人は「気付き」と言い
「高次の自分」と言い、「神」と言い、
私は「全知全能の存在」と言ったりします。
言葉は何でも構わないわけですね。
あなたの左脳が機能停止したとき
左脳のマインドを失ったけれど
右脳のマインドはまた機能していて
その状態であなたは
自分が大いなるすべてとつながっていると
分かったということですね。
<ジル>
その通りです。
いつでもそうだったわけですが
左脳の過剰な働きが妨げになって
気付くことができなかっただけなのです。
(つづくかも)
彼女の脳の話を聞くと
いわゆるエゴと真我は
左脳と右脳
と言い換えることができるのかも。
いまの文明社会において
習慣的に訓練され鍛えられているのは左脳。
でも分離のないエネルギーを見ているのは右脳で
過剰になっている左脳の働きを抑えることができたら
分離のない世界が誰にでも見える
ということなのかな
<ジル>
「私はひとりの個人という存在だ。
ここからここまでが私の身体で
そこからそこまでがあなたの身体。
私たちは分離している。」
そんなふうに感じているのは
左脳のちっぽけな細胞の寄せ集めだけなんです。
でも実際は私たちは分離などしていません。
左脳のちっぽけな細胞のかたまりが機能しなくなったなら
自分たちが分離しているなんて感覚はなくなるのですよ。
☆
<オプラ>
エックハルト・トールは
マインドを静かにするということ
つまり左脳を静かにすることについて話していましたが
あなたはそれができたということなんですね。
<ジル>
はい。
意図的にではありませんが、
左脳が完全に静かになる、という状態が起こったのです。
<オプラ>
エゴが消えたということですか。
<ジル>
そうですね。
「私」を認識する細胞が機能しなくなったのですから。
つまり、「私」というのは言語感覚なので
言語機能を失ったことで
「私」は消えてしまったのです。
ですから脳卒中が起こった日の午後
私は本質的に
おなかの中の赤ちゃんのようでした。
人生の記憶が何ひとつ無い状態です。
<オプラ>
それは
ワンネス、平安、すべての人との一体感など
それまで感じたことのなかった体験だったのですね。
☆
その感覚は真実なのでしょうか。
それとも左脳の機能が停止して右脳だけで知覚すると
そのように感じるのでしょうか。
<ジル>
そこが問題ですよね。
人間がうまく生きていくために
右脳と左脳どちらの能力も
バランスよく使えることが究極の目標です。
そしたら私たちは
誰もが大いなるすべての一部なのだという認識を持ちながらも
現実世界で生活することができるのです。
みんな同じ原子や分子を共有しているのですから
この惑星の兄弟姉妹なのです。
お互いがお互いの一部であれば
思いやり合うのも自然なことでしょう。
☆
<オプラ>
その体験から得た洞察のうち
いちばん大切なことは何ですか?
<ジル>
右脳の中心には
とてつもなく深い平安があるということです。
<オプラ>
つまりあなたは
ヨギや瞑想をする人々が求める「解脱」の境地に
至ったということですよね。
<ジル>
ええ、真の幸福です。
☆
<オプラ>
神を見たということですか?
<ジル>
私たちの本質が神だと言えるでしょう。
何をもって「神」と呼ぶかによりますが
自分と分離した何かの存在というわけではなく
私にとっては
流れるような しなやかな
穏やかな動き
大きなひとつのエネルギー、すべての知です。
<オプラ>
全知全能の存在とつながっていることを知った
ということですね。
<ジル>
そうです。分離していないということです。
☆
<オプラ>
解脱とは
単に思考が消え去った状態だと思いますか?
<ジル>
ええ、単に思考が消え去った状態です。
誰にとってもそうです。
<オプラ>
先日までの放送で10回にわたって
エックハルト・トールと
マインドを静めて内面の空間に入るということについて
話していたのですが
あなたが脳卒中で体験したのと同じことですよね。
<ジル>
そうですね。
私はそれを「右脳の意識」と言います。
単なる言葉使いの違いですよ。
みんな同じことを言っているわけですが
自分なりにしっくり来る言葉を使いたいだけです。
<オプラ>
私はこのようなことを長年研究していますが
エックハルト・トールは「意識」という言葉を使い
ある人は「魂」と言ったり
またある人は「気付き」と言い
「高次の自分」と言い、「神」と言い、
私は「全知全能の存在」と言ったりします。
言葉は何でも構わないわけですね。
あなたの左脳が機能停止したとき
左脳のマインドを失ったけれど
右脳のマインドはまた機能していて
その状態であなたは
自分が大いなるすべてとつながっていると
分かったということですね。
<ジル>
その通りです。
いつでもそうだったわけですが
左脳の過剰な働きが妨げになって
気付くことができなかっただけなのです。
(つづくかも)
続いてください。。
返信削除最近、ブログがアップされていて、また楽しんで読ませてもらってます。
QPさん
削除ありがとうございます。
スピリチュアルの師でも探求者でもない人の話、
しかも脳に詳しい学者さんの体験談というのはおもしろいですよね。
自我とは言葉であり左脳の細胞とも言えると分かると
古代からある謎めいた教えともつながってくるし
頭では理解できないと言われてきたことで
解明されていくことも多いのかなと思うと興味深いです。
後半もアップしますね^^