2014/02/27

終わるものと続くもの

さらにつづきです。

世界にも 自分にも 誰に対しても
もう何の抵抗もなくなって

どんな出来事が起こっていても
すべてがOKという感覚。

揺るぎない安らぎや解放感。

それが
目覚めの副産物と言えるでしょう。




しかし ひとりの人間としては
真実を体現して生きるという可能性が
どこまでも続いていく。


これは
目覚めによって生じるパラドックスです。


真実には
少し知るとか より多く知るとか
そういうことはありません。

知っているか 知らないか
ゼロか100かです。

あなたの真実ということは
周りにいる人の真実でもあり2人
朝飲むコーヒーの真実でもありティー

存在そのものの根本的な真実なんです。

その次元では
真実を知ると同時に探求者は消えて
そこで終わり。終止符が打たれる。
すばらしい安堵です。


しかし一方で

真実を知っても
まだ人間としての肉体を持っていますよね

ひとりの人間として
真実を鮮やかに反映させながら生きるという
可能性がどこまでも続く。

その次元では
まだまだ終わらないのです。


パラドックスですね。

片方では
真実を知ると それ以上は何もない。
おしまい。

もう片方では
人間としての生き方が続いていく。
真実を体現して生きる無限の可能性があって
そこに終わりはない。


ですから
「完全に悟った人間」
という状態はありません。

人間の次元では
可能性に終着点はないのですから。

人間としての次元に
真実を深く深く調和させていく。

その生き方に終わりはないのです。

      

大きな目覚めが起こった後
人間的な次元で生きていくことを
とても困難に感じる人もいます

目覚めによって知った真実と
ひとりの人間としての次元を調和させることが
わりとスムースにできる人もいれば
長い年月がかかる人もいるんですね。


ですから
大きな目覚めが起こったからといって

真実を体現して生きることが
誰にでもすぐにできるわけではないと
知っておくことは大切ですよ。

みんなそれぞれが
独自のプロセスを歩いているのだから

自分にも周りの人にも
思いやり深くあることです。

目覚めが起こった後でも
プロセスは続いていて

そのプロセスは穏やかなだけではなく
大変なこともあるのです。


そういう事実をよく知るにつれて
自分にも周りの人にも批判的にならず
あたたかく見守ることができるでしょう。


あの人は かなり目覚めている
この人は まだまだ×んて

誰がどれくらい目覚めているかで
階級を作ったりしないで(笑)

そんなふうに お互いに批判的になるのは
こういうスピリチュアルの集まりの
闇の部分でもあるんですよ。

まろやかにいきましょう










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