2013/07/01

何が起こっても受けて立つ


前回の続きです。



<質問者>

使命だと感じていた活動をあきらめた今

「本当はこんな仕事をしたいわけではない」


「つまらない」などと

ネガティブな気持ちを強く感じて

人と接しても明るくなれず安らげないのです。





<アジャ>

起こっていることへの不平不満を

そのまま信じてしまうんですね。




誤解しないようにしていただきたいのですが

何かに対して不満や抵抗を感じているとき

その気持ちを

絶対に信用するなと言っているわけではないのですよ。





「不満や抵抗は全て手放しなさい」と言っている人は多いでしょう。

ある程度まではその通りなのですが



でも時と場合によっては

不満や抵抗の中にも

耳を傾けたほうがいい部分も混ざっているのです。







「何となくこの仕事は好きになれない」と感じたとき

スピリチュアル・エゴが

「抵抗は手放すのだ」

「全てはありのままで良いのだ」

などと言い出すでしょうが






そのような教えにとらわれて

直観を見過ごしてしまわないように

気を付けておいたほうがいいですよ。





抵抗を手放して

不平不満を言うのを止めたとしても

自分に正直になることです。



「これは本当にやりたいことだろうか?」


「この仕事は自分にはシックリ来ないのではないか」


「本当に納得できないことをやり続けているから

 不満を感じているのかもしれない」



というふうに


仕事だけではなく他のことでも同じですが

自分の内側によく耳を傾けて

正直になることです。







そうすると

そのままやり続けるのか

それとも何か変化を起こすのか

インスピレーションが湧いてくるでしょう。



同時に

不平不満を言っても無意味だということも

分かるはずです。






・「自分はこうしたい」という直観

・不平不満を言うこと



この2つをごちゃ混ぜにして

「自分はこうしたい」という気付きさえも

不平不満といっしょに捨ててしまう人が多いのですよ。




分かりますか?





あなたの素晴らしい知性が

「この仕事はちょっと違うみたいよ」

そう言っているのに

その知性を投げ捨ててしまうのと同じなのです。







<質問者>

今の仕事への不満がもっともだと

何となく感じてはいるのですが


厄介な状況になるのが不安で

「こうすればいいのだろうか?」

「それとも こうするべきだろうか?」など

あれこれ複雑に考え過ぎて

余計どうすればいいか分からなくなってしまうのです。





<アジャ>

他の選択肢を考えて動くことが

必ずしも必要なわけではないんですよ。

そういう方向に行き着くこともあるでしょうが

いまやっていることも

おろそかにしないでことです。




この先どうするかに気を取られて

いま起こるべくして起こっていることを

軽視しないようにしてください。







仕事や日常の悩みなどは

スピリチュアリティーと無関係ではないんですよ。





日々の実生活と

スピリチュアリティーや目覚めは

別の分野ではなく

ひとつなんです。




スピリチュアリティーは生活そのものです。



日常生活と切り離されたスピリチュアリティーなど

ただの幻想になってしまいます。






また

スピリチュアリティーや目覚めは

ラクに生きるための手段ではありません。



目覚めが起これば

何でも思い通りになってラクで幸せな人生になる

なんてことは無いのですよ(笑)





     
<質問者>

何年か前に

どんなことが起こってもいいから真実を知りたいと

心から願ったのでした。






<アジャ>

その願いが叶っているじゃないですか(笑)

からかっているわけではないのですよ。



何よりも真実を望んだのは

あなた自身ですよね。

これがその望みへの答えなのです。






家族、仕事、経済的な困難、不安な状況.....


期待通りの世界ではなく

みんながイメージするような

「スピリチュアル」な感じの体験ではなくても

いま体験していることは

あなたが望んだ真実へのプロセスなんですよ。





真実への目覚めを願うとき

私たちはみんな

いつも穏やかに微笑んでいる聖者のような

光輝いた状態ばかり期待して

厳しい面はなかなか受け入れられないんですよね。







<質問者>

世界を目覚めに導くという思いが

完全な失敗に終わって

とてもショッキングだったのです。

これが真実への道だなんて

イメージと全く違って(笑)






<アジャ>

そうでしょうね。

そういうものなのです。



目覚めの体験をして 使命を感じたときには

全てが美しく輝いて見えて

何でもうまくいくように感じたのに

徹底的にボコボコにされてしまった感じでしょう(笑)




そういう状態になると

「真実なんて望まなければよかった」と思ったり

その後ずっと神を恨みながら生きる人も多いのですよ。





しかし

エゴがボロボロにされる体験も

シナリオの一部なのです。



目覚めの体験が始まると

困難を避けることができるのではなく

むしろ

困難が本格的に始まるのですよ。

しかも

信じられないほど次から次へと。





<質問者>

確かにそうでした。

耐えられないと思いましたよ。





<アジャ>

耐えられないと感じたとしても

必ず耐えられる範囲で起こるのですよ。





人生そのものが

目覚めのためのシナリオでもあるのです。



瞑想したり こういう場に来たりすることも

とても役に立つ重要なことなのですが

日常生活の中で起こってくる体験も

目覚めのプロセスなのです。



困難な体験もすべては

完全な目覚めのためのシナリオなのだと納得すれば

不平不満は消えていくでしょう。




起こってくる出来事が不快でも

人生に翻弄されているように感じたとしても



起こるべくして起こっているのだと

本当に理解すれば



あらゆる抵抗は無くなって

何でも来いという心境になるでしょう。



何でも来いという心境に行き着くのは

人間にとって大きな進化なのですよ。





そうなると

何が起こるのかビクビクしたり

スピリチュアルの教えを利用して困難を避けようとしたりせず



何が起こっても どんなときも常に

どっしりと構えていられるでしょう。




何が起こっても喜べというのではないですよ。

ただ 何でも来いという心境になるのです。





私の師は

「目覚めとは 自分の足でしっかり立つことだ」

と言っていました。





堂々と受けて立つのです。




おもしろいことに

何でも来いと 逃げも隠れもせず

堂々と立っていると

完全に自由になれるんですよ。





何が起こっても堂々と受けて立つ。

それだけです。






いつかは 自分の死さえも

受けて立たないといけないんですよ。


その前に

愛する人たちの死にも向き合い


やがて 自分自身の死も

完全に受け入れなければならない時が来るのです。



すべては

そのための準備運動みたいなものでしょう。






あなたには

自分で思っているよりも

はるかに大きな力があるのですよ。










(つづく)




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