2013/07/05

本音で生きる


(アジャシャンティのサットサンより)


<質問者>

痛みや恐れなど 不快な感情が湧いてきたとき

そんな感情から逃げようとせず

感じるままにしておくことが

一人でいるときは何とか出来るのですが



時々

特に誰かと一緒にいるときは難しくて

どうすればいいか分からなくなることがあります。





たとえば

私に対して意地悪な人たちがいるのです。



きっと私が自分自身を愛せていないから

その投影なのだと思うのですが



その人たちに対して

何か言い返すべきなのでしょうか。



たとえ人から意地悪なことをされたとしても

私は誰にもイヤなことを言いたくないのです。

人を傷付けたくないので。







<アジャ>

真実に生きるということと

聖人君子のような振る舞いを

私たちはよく無意識に

イメージで結びつけてしまうんですね。



「どんなときでも

 人にイヤなことを言うべきではない。

 親切にすべきだ。」

というふうに。





でも 真実は

全くそんなこと求めていないのですよ(笑)








<質問者>

意地悪を言う人たちのことも

私は好きで

関係を悪くしたくないと思っているのですが

これは愛ではなく執着なのでしょうか。








<アジャ>

もっとシンプルに考えてみましょう。





あなたの本心を感じて

それを表現するのです。




自分の気持ちに

本当に正直になってください。




真実が あなたを通して

その時その時で

何を表現したがっているのか

しっかりと感じるのです。




自分の言動には

はっきりした理由など別に要りません。





真実から湧き起こる言動は

いつでも的確で完ぺきなのですから。





「こうすべきだ」などと頭で考えないことです。

これはとても大切なことですよ。









これはよく使う例え話なのですが....






今あなたが教会にいると思ってください。



前には聖書を手に持った牧師さんがいて

片隅では物品販売が行われています。



その収益を

教会をキレイに改装するときなどの

資金にするためですね。





そこへ 

一人の男性が怒り狂って入ってきて





教会にいる人たちに向かって

「神の家で商売などするな!!」と責め立て

商品やお金が置かれている台をひっくり返しました。







聖書の中に

イエスが同じことをしている場面がありますよね。







<質問者>

はい 覚えています。







<アジャ>


いつも穏やかな聖者というイメージとは

違いますよね。





そんな人が教会に入ってきたら

私たちはどうするでしょうか?






<質問者>

追い出すでしょうね。






<アジャ>

そうですよね。

イエスは真っ先に教会から追い出されるような人なんですよ(笑)







私たちは

真実とか神聖とか聞くと

特定のメージを持って

「どのような言動が適切か」などと考えますが





実際は 

「こう振る舞うべき」という規範など何も無いのです。

起こるままに任せていればいいのです。





その時の自分の言動が

親切であろうが なかろうが

穏やかであろうが なかろうが



すべては宇宙の意志であり

起こるべきことが起こるだけなのです。

あなたが心配することではないのですよ。







真実から表現される振る舞いは

私たちがイメージするようなものではないのです。



さっきの教会とイエスの例だって

いろんなパターンに当てはまりますよね。





適切な振る舞いなど無く

何でもアリなのです。




「こうすべき」

「こんなことは言うべきではない」

そんなイメージにとらわれないで




自分に正直になって

本心を感じてください。








<質問者>

その瞬間瞬間に

自分が感じている本心を

そのまま表現すればいいのですね。







<アジャ>

その通りです。



人にイヤなことを言われたりしたら

私だったら絶対に

穏やかに耐えたりなどしませんよ。

何をしてしまうか分かりません(笑)




でもそうやって言い返すことが

「正しい」振る舞いだというわけではないんですよ。



ただ その時その時の本心

ありのままに表現すればいいのです。









真実に生きるということは

いつも平和にボーッとしていることではないのですよ(笑)

そんな愚かな状態になることではありません。





真実に生きていると

「どうあるべきか」という観念から自由になって

ありのままの自分でいられるのです。

そういう意味での平穏なのです。









<質問者>

分かってきました。



私たちは子供の頃から

本音を伝えてはいけないとか

自分の感覚は当てにならないと

思い込まされていたのでしょうね。








<アジャ>

その通りですね。




時には

NO と言うことが 

YESのエネルギーになるんですよ。




言葉ではNOと何かを否定しても

自分の本心をYESと肯定しているのだから

それは真実から湧き起こる

ポジティブな表現になるのです。






NOと言うことは 

まるで分離意識から

人を拒絶しているように思えるかもしれませんが

そうではありません。



自分の本心を肯定するということは

真実にとってのYESなのです。








<質問者>

もし本心を表現しなかったら

どうなるのでしょうか?






<アジャ>

また同じような出来事が起こります。






あなたが具体的にどうすべきかは

私には分からないのですよ。


その時その時の

自分の本心に従うことです。







社会的な良識に従うのでもなく

親から教えられたことに従うのでもなく



頼りにするものが外側に何もなくて

自分の本心だけに従うのは

何だか不安に感じるでしょう。





自分の感覚など当てにならないと

刷り込まれていますからね。






でも

本心に従って

自分にとっての真実を表現することは

周りへのギフトにもなるんですよ。






あなたが本心を表現すると

周りの人も

自分が体験すべき真実を

体験することになるのです。






本心を表現することで傷付くものなど

本当は何もないのですよ。






それに

本心を表現するといっても

攻撃的になることはありません。

我慢して溜め込んだりしなければ

必要以上に激しく溢れ出ることはないのです。















本心をはっきりと伝えることができたら


分かってもらえるか?

受け入れてもらえるか?」

など全く気にならないのですよ。





受け入れてもらうことが目的ではなく

本心を表現すること自体が目的で

ただそれだけで完結するのです。






理解して欲しいとか

受け入れて欲しいなどと言うのは

エゴだけですからね。





理解されても

理解されなくても



受け入れられても

拒絶されても


どちらでも



真実を伝えるだけで

素晴らしい気分になれるのですよ。










でも私たちのエゴは


真実を伝えることで

何かを失ってしまうのを恐れているのです。






...いま言っている真実とは

究極の真実のことではありませんよ。

究極の真実には

伝えるべきことなど何も無いですからね。


そうではなく

真実が私たちを通して表現したがっていること

という意味です。






私たちのエゴは

真実を伝えて

本心をすべてさらけ出すことで


期待通りの人間関係が築けなくなることを

恐れているのですね。






しかし

真実を伝えると

誰にも想像できないような

素晴らしいことが起こってくるのですよ。






本心を伝えることで

関係を悪くしたくないというのは

人として自然な心情でしょうが



人の気持ちを操ることなど出来ないのですから

起こることは起こるままに任せていればいいのです。










<質問者>

周りからどういう反応をされるかを

気にしないでいればいいのでしょうが

本音を伝えるなんてとても怖く感じます。











<アジャ>


そうでしょうね。

でもその不安を克服できる唯一の方法は

実際に本音を伝え始めることです。







<質問者>

本音を伝えることで

もし人が離れていったとしても

実際は

大切なものは何も失われないということですね。








<アジャ>

そうです。

本音で話せないような人たちと

付き合っていたいなんて思いますか?








<質問者>

そういう付き合い方に慣れていたんだと思います。







<アジャ>

たとえ自分から離れていった人がいても

その人にも素晴らしい価値があるんですよ。

自分との関わりがあってもなくても

誰にでも等しく価値があるのです。








本心を表現し始めることで

人生や人間関係を

リセットすることになるかもしれませんね。





本音を伝え始めると

深いところに潜んでいた不安に向き合うことになって

最初は怖いでしょうが

素晴らしいことが起こってきます。




みなさんは

本音ばかり伝えていたら

大変なことになると思っているでしょうけどね(笑)









<質問者>

私もずっとそう思っていて

嘘は言わないとしても

本音を伝えるということは控えていました。

でも本音を言わないということで

結局は嘘をつくことになっていたということですね。








<アジャ>

そうですね。




自分の本心に気付いて

それを表現することも

真実に生きるということになるんですよ。



そうしない限り

いつも分離意識や恐れにとらわれることになります。








本音を伝えることで

友達や恋人を失うこともあるかもしれません。





それでも

本心を表現する生き方のほうが

自分にも 周りにも

素晴らしいギフトになるのですよ。





あなたがいつも本音で生きて

相手もあなたに本音で話せる。




それ以上の関係があるでしょうか?

素晴らしい自由ですよ。







ありのままの自分でいること。


何者にもならないこと。


それが目覚めです。









6 件のコメント:

  1. ありのままでいること・・・って
    少しばかりは、わかったつもりになっていたんですが
    本心を表現すること(自分に嘘をつかないこと)でもあったんですね。
    自分がいかに表現を抑圧して抑圧して、我慢していたのだということを痛感しました。
    だから、何度もそうせざるおえないことが起きるのですね。
    表現していいのですね。
    表現することは、争いを招くこと、または無駄なこと、
    嫌われること・・・・何故か…長年そう決めつけていました。
    一度読んだときには、さらっと通り過ぎていたのですが
    再度読み返してみたら衝撃でした。\(◎o◎)/
    Asaminさん いつもありがとうございます。(*^_^*)

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    1. mupoさん

      こんにちは。コメントありがとうございます!

      そうですよね、本心を言ってはいけないなんて
      真逆のことを当たり前のように刷り込まれて育って
      自分が本心を抑圧していることに気付くことさえ難しくなっていたことや
      そのせいで不本意な体験が起こり続けるというカラクリを発見すると
      ほんとに衝撃ですよね。

      本音を表現すると大変だというイメージは怪物のように怖く思えても
      実行してみると本当に困ることなんて何も起こらなくて

      自分を偽ると困難だけど、ありのままってものすごくラクだなぁと
      つくづく感じます^^

      こちらこそ、ありがとうございます!

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  2. はじめまして。
    私は主にアイフォンで閲覧しているので、新しいサイトに移設されてからは広告がなくなって大変快適に読めるようになり助かってます。
    何度かアイフォンでコメントしようとしたんですが、コメント者の「プロフィールを選択」というところを開いて、選択肢のどれかを選び、いざ名前等を記入しようとする段になると、どうにも書き込みが出来なくなってしまい、困っています。(なのでこの度パソコンで書き込むことにしました。)
    すいませんが、この点について、教えていただけるとありがたいです。

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    1. トトさん

      はじめまして!
      私もブログをこちらに移転してから広告やニュースが無くなって快適です^^

      コメント投稿の件、お手数をおかけしました!気付きませんでした。
      iPhoneから試してみたら、確かに投稿できませんね。
      名前も入力できないし、「匿名」を選んで投稿しても消えてしまいます(><)
      スマホでもアンドロイドからは投稿できるので、調べてみたら
      どうやらiPhone対Google特有のミスマッチ?による不具合のようで、
      今のところ解決策はないようです。。

      なのでパソコンからコメントいただくか、
      iPhoneでも連絡フォーム(「ウェブバージョンを表示」で左下に表示されます)なら
      コメントとしては公開されませんがメッセージが私宛に届きます。
      ご不便をおかけしてスミマセンm(_ _)m
      今後もっといい解決策が分かりましたらお知らせしますね。
      教えてくださってありがとうございました!

      削除
  3. Asaminさん。
    コメント欄の件、iphoneだけのトラブルということですか。
    了解です。
    ご回答、ありがとうございました!

    ところで今日のエントリー(「人生のナビゲーション」)から絵文字が復活されてますね。あれ、地味に好きなんで、また楽しみが増えましたわ。

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    1. トトさん
      ありがとうございます♪
      このgoogle blogger には絵文字の機能が無いことは分かっていたのですが
      やっぱり文字だけだと妙に淋しくて、ムリヤリくっつけてみました(#^^#)

      コメントできないのは私が調べた限りではiPhoneだけのようです。
      お手数をおかけしました!

      削除

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(初期の型のiPhoneからはコメント投稿できないことがあるようです)