2013/07/16

人生のナビゲーション


(アジャシャンティのサットサンより)


私たちはみんな

それぞれが独自のプロセスで目覚めへと進む中で

必ず

自分の意志を手放すことになります。









個人的な意志が完全に消滅するまで

必要な体験が

繰り返し起こってくるのです。






「何をすればいいのか」

「どうするべきか」

このような個人的な意思が

すっかり消え失せて

自分が抜け殻になったように感じても



実際は

失われるものなど何も無いのですよ。





それどころか

偽りの自己を手放すことによって

それまでと全く次元の異なる意識が

私たちの奥深くに生まれます




言葉で説明するのはとても難しいのですが

それはまるで

いちど死んで生まれ変わるような感じです。






そして

自分の意志ではなく

完全で完ぺきな人生そのものによって

私たちが動かされるようになるのです。





とても神秘的に聞こえるかもしれませんが

不思議なことではないのですよ。






このように

真実が私たちを通して生き・表現することについては

道教で見事に描写されています。




「道徳経」を読んだり

道の教えを学んでいると

ある時点で

人生の流れによって意図が生じるという感覚に

気付いてくるでしょう。






あなたが運転席から外れると

人生そのものが

自ら運転を始めるのが分かってきます。



もちろん

人生はいつだって自ら進んでいるのですが

あなたがハンドルを手放すと

ずっとスムースに動いていくのですよ。




偽りの自己が邪魔をしなくなると

あなたが想像もできないような

素晴らしい展開が起こってくるのです









個人的な意志が消えていくと


「どうやって物事を決めればいいか

 分からなくなった


「これをやるべき? やめるべき?」


「どちらへ進むべきですか?」など


私に相談してくる人も多いですが





そのような人々へ私は

「あなた個人が決断すべきことは

 もう無くなっているのですよ。

 あなたはもう

 何もコントロールしなくていいのです。」

と答えるだけです。




何らかの選択をするとき

あなた個人が正しい決断をするわけではなく

「流れに沿っている」という感覚になります。



物事が自ずと起こってくるのを感じて



どちらへ進むべきか

頭で判断するのではなく

川が岩に沿って流れるように

進む方向が自然と分かるのです








私たちにはいつでも

このような直観はあるのですが

ほとんどの人は

ごちゃごちゃした思考や感情に気を取られて

流れを感じ取れなくなっているのですね。





しかし

思考や感情や

個人的な意志への執着心に囚われなければ

深いところに いつも

シンプルに動いている

人生の流れがあるのです。







数年前に亡くなった

アンソニー・デ・メロというイエズス会の神父が

覚醒とは何か?という問いに

次のように答えていました。



「覚醒とは

 起こってくる出来事と

 完全に協調することです」



これは素晴らしい描写だと思いますよ。

覚醒を知識だけではなく

行動として描写していますからね。




人生の流れ・起こって来ることに

抵抗せず

全身全霊で

完全に協調するのです。




私たちの中に葛藤が無いと

人生がどちらへ向かおうとしているのか


感じられるようになって



「これは正しい選択だろうか?」

「この決断で良いのだろうか?」



こんな不安や疑問によって

微かな人生の流れが感じ取れなくなることも

無くなっていきます。





個人的な意志を手放して

どんなに怖いと感じることが起こっても

エゴが崩壊していっても

人生にまっすぐYESと言い

真摯に向き合うのです




いま話してることは

誰にでも起こってくることなんですよ。

努力する必要もなく

自然と分かってくるでしょう。








「こうすべき」

「これが正しい」という考えや信念ではなく




流れが

人生を進む上でのナビゲーターになるのです






そして 

流れは常に

私たちが想像もできないようなやり方で

あらゆるものを調和へと導く

真実の表現であることが

分かってくるでしょう















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