2013/08/12

【基本実践2】私は誰?



前回のつづきです。




2つめは これです。




問うこと





さきほど話した1つめの実践方法は

完全にリラックスした状態になるための

誘導のようなものでしたが

2つめの「問うこと」は

少し自発的・積極的になる必要がありますよ。





愛や真実と繋がるためのものであり

リアリティーへの切望であり

私の教えの中でも
より大きな動きを伴う部分です







「私は誰? 私とは何?」




これが私たちにとって

究極的で最も深い問いです。





私たちが

エゴの夢から目覚めるまで

何よりもしっかりと取り組むべき

重要な問いなんですよ。





一方

私は何を求めているの?

私はどうなりたいの?



このような疑問は

「私は誰? 私とは何?」

という問いほど

重要なことではないのです。



なぜなら そんなふうに

何かを求めたり探したりしているのは

いつも「私」ですよね。



「私」の正体が何なのか知らないまま

その他のことが

本当に分かるわけがないでしょう。






いまここで

この画面を見て
この話を聞いているあなた




その「あなたとして生きている存在。

それが何なのか

本当に分かっていないと

人生で最もすばらしい贈り物を
受け取れないことになるのですよ






ですから

「私は誰? 私とは何?」

この問いは

私の教えの中でも

最も重要な部分です。





他のどんな教えについても言えることですが

どのように」実践する

とても大切なポイントですよ。

これは

単に頭で考えられるようなことではないのです。





この問いに対して

頭であれこれ考えて

どこかで見聞きしたイメージを

引っ張り出してきたりしたら

まと外れなことになってしまいます。


そんなことをしても

思考に浸ることになるだけですからね。






「私は誰? 私とは何?」

この問いは

あなたを

エゴが創り上げている夢の世界から
脱出させる手段なのです







これは

とてもシンプルなのですが

かなりの着実さが必要です。

そして

どのように問うかを

きっちりと理解しておかなければなりません。





「私とは何か?」

こう問うとき

しっかりと自分を見てください。




「『私』と言っているものは何なんだろう?」




ほとんどの人にはここで

いろんな考えが浮かんでくるでしょう。








記憶、身元、自己イメージ


性別、世代、年齢
性格、鏡に映る姿など







すべては

頭の中にあるものですね。





でも

もっとしっかりと

深く追求してみてください。

ここで いますぐに。 




自分だと思っているものはすべて

単に「思っている」だけだと

分かるでしょう。

思考の産物ですね。



その思考は

意識の中で起こっています。



あたなの中で起こっているのですから

それは「あなた」ではないのです。




あなたは 思考よりも

言ってみれば

一歩手前にあるということですよ。




私たちは

「私の思い」とか

「私は考えている」とか

「こんな考えが私に浮かんだ」などと

言いますよね。

「私」と「思考」は

同じものではないということですよね。






この問いは

意識と思考の狭間の夢うつつ状態や

自己イメージから

私たちを目覚めさせてくれるのです。





「私とは何なのか?」と問うことで

自分は思考よりも

もっと根底的で

より親密なものだと気付くでしょう。







「私」だと思っていたイメージを除外すると

何が残りますか?




何らかの感情や感覚があるという人もいるでしょう。



しかし

感情や感覚も

あなたのすぐ側で起こっている現象に過ぎず


あなたという意識によって

感知されているものなんですよ。

あなたが誰なのか・何なのかを

知る手がかりにはなりません。




では

さらに深く探ってみましょう。






「私の中で

 思考や感情や感覚が起こっているのなら

 その『』って何なの?」




いまこの話を見聞きしている

 いったい何?





思考や感情や感覚をアテにしなければ

あなたは誰なのでしょうか?






瞑想のように静かに

この問いかけをしてください。




すると

ムダにあれこれ考えたりせず

自分という直接体験から

答えを見つけることになるでしょう。





それが

この問いの大きな力なのです。






覚えておいてください。
ここがいちばん大切なポイントですよ







あなたの最も深いところを探らなければなりません。

頭で考えて答えを出そうとしないことが

この教えを実践する上で非常に大切です。





この問いによって

思考や感情から離れて

自分という意識の奥底へ

深く深く入っていくことです。








「私は頭の中に浮かぶ思いや考えではない。

 思考は刷り込まれた条件付けに過ぎない。

 私は感情や感覚でもない。

 これらはすべて

 広大な私の中で起こっているだけだ。

 それなら
 
 私はいったい何なの?」





深く 誠実に

しっかり問うと

静けさに辿り着きます。





言葉に出来るような答えは

見つからないでしょう。

もしも

言葉に出来る答えが出てきたら

それは間違いですよ。

答えは

意識の次元だけに現れるのですから。





思考や感情が自分ではないと分かり始めると

自分は思考や感情を内包している
意識」なのだと気付いてくるでしょう






これが

この問いの大きな力です。





もちろん

意識」というのも言葉ですから

意識」という言葉にとらわれていると

この教えの全てを

根本的に誤解してしまうことになりますよ。




自分という直接体験によって知る「私」は

言葉を遥かに超越しているのですが

ここでは

何らかの言葉で説明しなくてはいけないので

「意識」や「スピリット」という言葉を

使っているだけです。





私たちは

描写できるものではありません。

形も大きさも香りもなく

言葉にできないけれど

確かに存在しているので


私は「意識」や「スピリット」と呼んでいるのです。






意識が

いまこの瞬間も

存在していて機能していることを

否定できないでしょう?




仮にあなたが

「いまここに意識など存在しない」と

否定したとしても

私の話を聞いて否定したという事実が

意識がいまここに存在するという

証拠になりますね。

そのようなことは

意識なしには起こりえないことですから。







「私は誰? 私とは何?」



このように問うことで

あなたは考えるのではなく

逆に思考から抜け出すのです。

この点が非常に重要ですね。



そして その答えを

あなたは

いますぐ知ることが出来るんですよ。

むしろ

いましか知ることが出来ないのです。





スピリチュアルの教えを

何十年も学んでいる人でも

まったくの初心者でも同じです。

どれだけ長く学んでいるかなど

関係ないのです。




自分の本質への目覚めは

いつでも

いまこの瞬間、

いまこの瞬間だけに

可能なのです。





目覚めは

長年の修業によって起こるのではなく

いまここの

深い問いによって起こるのです








他の問い方も有効なんですよ

私が勧めている

もうひとつの問いはこれです。




これは本当に真実だろうか?




エゴ意識はいつも

いろいろ考えたり想像したりして

そんな

真実でもない信念や意見をもとに行動しますよね。




信念や意見は

結局

単なる信念であり

単なる意見です。



どちらも頭の中の思考であって

真実ではありません。



ですが

頭の中の思考を

本当に価値のある真実だと信じてしまうと

私たちは

幻想の世界で生きることになるのです。




私たちの思考は

時には

実用的で便利な場合もあるかもしれませんが

究極の真実は含まれていません。




あなたの意見も信念も

ひとつとして

究極的には真実でも現実でもないのです。




だからといって

信念や意見を持つなというわけでありませんよ。

信念や意見を持つことは仕方ないでしょう。




でも

どんな信念も意見も

真実ではないと知ることによって
とても自由になれるのです







エゴ意識は

「意見を持たなくてはいけない」とか

「信念を持つべきだ」などど言って

思考に執着しているでしょう。




信念や考えや意見を基盤にした世界でしか

エゴ意識は存続できないのです。



信念や考えや意見は

エゴ意識で生きる人々の

指針のようなものです。



自分や他人に対する

信念や考えや意見が

エゴ意識による夢遊状態の実体とも言えるでしょう。




そしてそれが

あなたを

本当の自分や

あらゆる存在の真実、

存在そのものの真実から

引き離すのです。





「これは本当に真実だろうか?」





この問いは

どんな状況でも使えるのですよ。





「この考えは本当に真実だろうか?」


「これは本当に確かだろうか?

 単に思い込みだったり

 信じているだけじゃない?
    

そう見抜いて

別の信念や意見にもとらわれなければ

どうなりますか?





自分の考えであっても

他のどんな意見であっても

あらゆる考え、信念、評価、不満などが

真実ではないと

見抜くことはできますか?






これは

苦悩や葛藤から自由になって

愛や思いやりや感謝に満ちた

まったく新しい生き方にシフトするために

非常に重要なので
すべての人にお勧めしたいことです






愛、思いやり、感謝、

そして

どんな思考も遥かに超越する叡智。


問うことによって
そこへアクセスできるのです





さきほど説明したように

シンプルにしっかりと問いかけるのですよ。





つづく






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