2013/05/21

強い欲求を感じるとき

音声ファイル The True Meditation の中からQ&Aの一部を訳しました。


けっこう長い会話なので
(そして翻訳するのがちょっとはずかしいジョークが何ヶ所かあったので 笑)
少し削っていますが、大切なところは網羅されていると思います。








<質問者>

強い欲求や依存症には
どのように対処すればよいのでしょうか。





<アジャ>

具体的にどんなことですか?





<質問者>

たとえば

チョコレート・ビスケットをちょこぱい
たくさん食べたくなるとか....笑








<アジャ>

私と気が合いそうですね笑






<質問者>

それから

性欲のときもあれば

スピリチュアル関連の本を次々と読みたくなるとか



そんな欲求です。


何かアドバイスをいただけないでしょうか。







<アジャ>

そういう課題については


「欲に従うべきか・抑えるべきか」



など
表面的な話しかされないことが多いですが




マルかバツかの
二者択一で考えるような問題ではなく
もっと深い話なんですよ。







「チョコビスケットが食べたい!!




そう感じたとき
その欲求を深く探ってみましょう。






「私が欲しいと感じているものは

 本当にチョコビスケットなんだろうか?」




「チョコビスケットを食べることで

 何を得ようとしているんだろう?」






そんなふうに意識するのです。






<質問者>

よく無意識のうちに欲が湧くんです。








<アジャ>

それは分かりますよ
今の話はそういう意味ではないです。




チョコビスケットを1キロも2キロも笑
無意識に食べてしまったあと


ハッと我に返ってビックリ



「しまったうさぎ次は意識して気をつけよう」




なんて
そういう話ではなくて笑







食欲でも性欲でも
何らかの欲が湧き出たら






「私が欲しいのは

 本当にコレなんだろうか?」




そう意識してみてください
ということです。





これは自分を知るための
とても深い問いかけなんです。





本当に単純に
そのモノが欲しいのだという場合も
もちろんあり得るんですよ。



ただ単に
チョコビスケットが食べたいだけ。



そういうことも十分あり得ますからね。







でも


「いま私が欲しいのは

 本当にこれだろうか?」
 


「これを食べることで

 何を得ようとしているのだろう片福面と一緒






そう自問したとき



たとえば


「満足したい」とか

「栄養を補給したい」




そういう思いが見つかるかもしれません。




そしたら次に



「欲しいと思っている満足感や栄養は

 いま本当に欠けているのだろうか?」




そう自問してみるのです。






<質問者>

それは試してみることがあるのですが
「本当は必要ない」と気付いたとしても
それでも欲求はおさまらないのです。







<アジャ>

必要ないからガマンしなければと判断するのとは
ちょっと違うんですよ。





チョコビスケットを食べなくても
今このままでも自分には
満足感はあるのだと気付くことです。




チョコビスケットを食べることで
満足感を得ようとしているけれど



満足感は
食べていない今も感じることができている。




そう気付くこと。






<質問者>

よく分かりません...
もういちど説明していただけますか?







<アジャ>

ビスケットを食べることで
感じようとしている満足感や喜びは


食べなくても今もうここにあって
すでに感じられる。


だから別に食べなくてもいいのだと
実際に感じて気付くことですうさぎ





自分が求めているものは
今すでに自分は持っているのだと
感じてください。



考えるだけではなく感じるのです。


私たちは感情の生き物であって
感情で行動が決まるのですから。






<質問者>

なるほど。

では

ビスケットに求めていた満足感や喜びは
もう今でもここにあるのだと感じたとして




じゃあその後は
やはり食べるのをやめるべきですか?







<アジャ>

食べても食べなくても
どちらでも構いません。

それは問題ではないのですよ。





まず試してみてください。
どうなるか実験するのです。




ポイントは
心の中心でじっくり感じることですよハート



「こうするのが正しい」とか
「どうすべきか」とか



そういう考えは全て無視してください。




正しいとか正しくないとか
そういうものは無いのですから。




だって誰でも時々は
お菓子を食べたいことくらいあるでしょう?



別に深い意味はなく
ただ単に おいしいからという理由でねうさぎ







しかし 時には
もっと深い理由が隠れていることがあるんです。




特に


お菓子をたくさん食べることが
毎日毎日 習慣のようになっている場合。



これは性欲でもそうですね。
性欲は誰にでもあるものだけれど
しょっちゅう欲に取り憑かれている場合。






このような場合は
深いところに他の原因が潜んでいるのです。





深いところで
本当は別のものを求めているのに

それに気付かず
代わりもので満たそうとしているんですね。








<質問者>

禁欲主義については
どのような見解を持っていますか?
多くのマスターたちが辿ってきた道のようですが。







<アジャ>

私には特に見解などありませんが

あなたがそのような生き方をしたいなら
そうすればいいんですよ。

一人で ほら穴の中にこもったり笑






<質問者>

禁欲が覚醒につながる
という見解もありますよね。







<アジャ>

そうですね。
あなたが好きな見解を選べばいいのです。


「見解」などというものは
真実とは遠くかけ離れたものが多いんですけどね。





いいですか。



あなたがどんな生き方をするか
決めるのはあなた自身なんですよ。



あの人の教えや この人の意見
誰か立派なマスターはこう言っていたとか
そんなことはアテにしないでください。



何が真実なのかは
あなたが自分で感じ取るのです。





私はどんなことに対しても
「見解」と言えるようなものは持たないのですが



しかし
あえて私がどう思うか聞きたいのであれば....




禁欲主義では欲求を解決できないことは
誰から見ても明らかでしょう。



欲求を否定したり拒絶したりしても
欲求は消えて無くなったりしません。







<質問者>

ブッダは
何年も禁欲していましたよね。







<アジャ>

その後どうなったか知っていますか?
彼は何年も禁欲主義でいたけれど
結局やめたんですよ。



当時すでに大勢いた弟子たちは
師が禁欲主義を破ったことに
大変なショックを受けたようですが笑





つまりブッダは
禁欲主義が役に立たないことに気付いて
欲求を否定することをやめたのです。





<質問者>

思い出しました。
ブッダはたしか
禁欲主義をやめた後に覚醒したんでしたね。






<アジャ>

その通りです。

欲求を拒絶したり否定したりすることは
役に立たないのです。





とは言っても


好きなだけ欲を満たすほうがいい
というわけではないですよ。



いつも言っていることですが


真実は
マルかバツか、右か左か
そんな二者択一で話せることではないのです。



とても深い話なんですよ。







強烈な欲や渇望感の奥深くにあるものは



「満たされたい」という
人の心の切なる叫びであり



否定したり抑えたりすることで
消し去ることなどできないのです。




それは
異常な食欲や性欲であっても
神を求める思いであっても
本質的には同じなんですよ。







「私が必死に求めているものは

 本当は何なんだろう?」




この問いかけが カギなのです。





どんな欲であっても

表面的に何を欲しがっていても



みんな本当は
ただひとつのものを求めているのです。




それは

本当は言葉で言い尽くすことなど
できないものですが



あえてシンプルな言葉で
ズバリと表すとしたら...






<質問者>

愛でしょうか。







<アジャ>

その通りですね。


何らかの強烈な欲求が湧き出たとき
その奥底にあるものを感じてみてください。



愛への切望が


ビスケットや異性や信仰など
外側のもので満たされようとする欲求に
置き換わっているだけなのです。









欲求は
あなたの気を引くための
呼びかけのようなものなんですよベル







みなさんは
こう思っているでしょう?



欲求とは
自分が何かを持っていないとき
自分に何かが不足しているとき
それを補いたくて感じるものだ。



でも
そうではないこともあるのです。








何らかの強い欲求を感じるとき


そのとき 何かが
あなたを呼んでいるのです天使の羽





たとえば


背後から
誰かがあなたを呼んでいる声が聞こえたら「おーい」
どうしますか?



その声が飛んでいく方向である
自分の前方を見ますか?

つまり
あなたを呼ぶ「声」そのものに意識を向けますか?





それとも
自分を呼んでいる声が発せられている方向

つまり
声の主を見るためにshokopon後ろを振り返りますか?





<質問者>

自分を呼んでいる人を見るために
後ろを振り返ります。







<アジャ>

そうですよね。

声そのものに意識を向けるのではなく
声が発せられた元に意識を向けますよね。





強い欲求も
今の話の「あなたを呼ぶ声」と同じなのです。






欲求が内側から湧き起こったとき



それは
あなたの内側にある何かが
あなたの気を引こうとしているのですちゃこ バイバイ





でもみなさんは
欲求が発せられた元ではなく
欲求そのものに意識を向けるでしょう?





そうではなく


欲求が何から発せられているのか
その出どころをたどってみるのです。




「この欲求はどこから来たのだろう?」




よ~く感じて
もともとの出発点まで
ずっとずっと深く深く
さかのぼってみるのです。





そうすると


最も深いところにある
愛への切望に気付くでしょう。




そこまでたどり着いたとき


あなたを呼んでいる源(本当の自分)に出会うのですキラキラ





試してみてください。



欠乏を補うためだけの欲求。
そう思い込んでいたものが


実は 全く違うものだったと
分かるかもしれません。








欲を否定して抑えるか
それとも
欲を好きなだけ満たすのか




そういう両極端な考え方では
解決しないのですよ。




欲求の源泉に気付くことです。







ブッダが菩提樹の下で悟ったのも
そのことだったんですよ。



彼はそれ以降どんなことも


抑圧しようとしたり
否定したりせず


逆に
追い求めたりもしませんでした。





自分を呼んでいる源に気付くこと。



それを彼は覚醒と呼んだのです。




彼はもう
外側にあるものを求めたりせず
「覚醒者」になろうと努力などもせず
何も否定せず拒絶もせず




自分が本当に求めていたもの

つまり自分を呼んでいる源に

意識を向けたのです。





そして
どんな誘惑がやってきても小躍り
静かに向き合っていました。



自分が求めているのは
そのような外側にあるものではないと
分かっていたからです。




外側へ向かう欲求を
否定する必要はないけれど



それを満たしたところで
本当に求めているものが満たされることは
決してない。



どんな欲求が湧いてきても
本当に求めているものは いつも
自分の中にあるのだ。



そう悟ったのですね。








欲求がどこから発せられているのか
深く深くだどっていって


あなたを呼んでいる純粋な源に
気付くことです。






そんなに難しいことではないはずですよ。






まずこの仕組みを理解することは
とても大切なんです。






欲に打ち勝つべきだとか
欲を満たすべきではないというのは
迷信です。






どんな欲であっても

すべての欲求は




あなたが本当に求めているもの
つまり
あなたを呼んでいる源に気付くことで







満たされて

満たされて

満たされて



完全に 完ぺきに 永遠に

満たされるべきなのですシャボン水玉














完全に満たされたなら
もう二度とチョコビスケットを食べない
というわけではないですよ。




私も甘いお菓子は好きなのでcookie*
今でもチョコビスケットなどを食べますが




それは欠乏感を埋めるためや
本当に求めているものの代替品としてではなく



ただ おいしく味わって楽しんでいるバレンタイン
それだけのことなのです。

5 件のコメント:

  1. SECRET: 0
    PASS:
    すごく、参考になりました。
    欲望は、満たしてもまた湧いてくるし
    欲望って、解決するものではないんだなあと思っていたところです。
    本当は私は何を感じたがっているのか?
    何を表現したがっているのか?ということに意識を向けていくと、
    狂おしいほどのエネルギーがありました。
    それは、目的も、対象も限定しないもので、どんどんあふれてくる熱い感覚でした。
    でも、自分がそれに「満たされる」というところには及びませんでした。
    その時は圧倒されるのが怖くて、そこからちょっと離れてしまったのかもしれません。

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  2. SECRET: 0
    PASS:
    ��ゆん♭さん
    はじめまして。
    コメントありがとうございます。
    今回の記事は特に、読むだけではなく
    実際に感じていただけたらなぁと思っていたので、
    試していただけたようでよかったです(^-^)
    ゆん♭さんのコメントを読んで、
    エネルギーに圧倒されそうなとき
    無理に飛び込むと安全でない場合があると
    アジャシャンティが話していたのを思い出しました。
    あとは自然にやってくるタイミングに委ねるといいのかもしれませんね。
    と思いました!

    返信削除
  3. SECRET: 0
    PASS:
    こんにちは!
    アジャシャンティに、いますごくひかれているので、とっても参考になります。
    訳してくださって、シェアしてくださり、ほんとうにありがとうございます。
    これからも楽しみにしてます!!

    返信削除
  4. SECRET: 0
    PASS:
    あ、何度もすみません!!
    私のブログにリンクさせていただいてもよろしいでしょうか!?

    返信削除
  5. SECRET: 0
    PASS:
    ��タユタさん
    はじめまして!
    コメントありがとうございます。
    アジャシャンティの話は
    昔はたま~に聴いたり読んだりする程度だったのですが
    私もこの1~2年はアジャの言葉が最も強く響きます。
    とても深くて素晴らしい話だからこそ
    私のヘンテコな翻訳で恐縮なのですが(^^;)
    シェアしたい話がまだまだいっぱいあるので
    また読んでいただけたら光栄です。
    もうひとつコメントいただいた件、リンクはもちろんOKですよ!
    ありがとうございます。

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