2013/06/12

真実の咲き方はいろいろ


(アジャシャンティのサットサンより)

<質問者>

偽りの「私」ではない本当の自分を見ようとして

この数ヶ月ずっと自分に向き合っていると

少しずつ真実、つまり「無」に

近づいているように感じるのですが




本当の自分が「無」であれば

それがどういうものなのか理解したいとか

何とか掴み取りたいという思いが出てきて

思考の嵐に飲み込まれそうになるのです。





そして、もっと真実をハッキリ知るために

「あのテクニックを使えばいい」とか

「こんな方法を試してみてはどうか」

などと浮かんでくるのです。






<アジャ>

つまり

「無」をしっかりと掴むために

「無」をハッキリさせようとするんですね笑





<質問者>

そうすれば

目的地に辿り着くと思ってしまうんです。





<アジャ>

どんなイメージなんでしょう。

どこに行こうとしているんですか?







<質問者>

....どこでもないところです。







<アジャ>

どこでもないところ。

だったら

いま既にそこにいますよね。






<質問者>

その通りですね。

私もどこかで

そのことに気付いているのですが...







<アジャ>

あなたの「どこか」が気付いている

なんてことはありませんよ。

気付いているか、気付いていないか

そのどちらかです。

あなたの中に秘密の小部屋なんて無いのですから笑






<質問者>

言葉のアヤでした。

その通りです。







<アジャ>

私たちは

何ごとも頭で理解しようとするものです。

そうするように習慣付けられているんですね。




すべてを自分の枠に当てはめて理解しようとする定規

それが思考のゲームなのです。






でも

真実を枠にはめることなど

決して出来ることではありません。

真実について描写した物語を創り上げるのが

精一杯でしょう。








思考は

人生における様々な場面で

とても役に立つ優れた道具ですよね。



しかし

究極の真実へ向かう道においては非力です。




真実は

頭で理解することなど出来ないのですよ。





思考や言葉そのものに

知性はありませんからね。





思考が言っていることは

よそから借りて来たものです。





黒板に書かれた文字と同じように黒板

ただの記号であり 道具です。





意識という知性の支えが無ければ

思考や言葉は何の力も持たない

抜け殻なのですよ消える







本だってそうでしょう。

紙の上に並んだ ただの記号です本

知らない外国語で書かれた本だったら

何の意味もなさないですよねハテ







思考や言葉そのものには力は無く

意識という知性が命を吹き込んだとき

初めて役に立つのです双葉








<質問者>

たぶん 本当の自分に気付くことで

「私」というエゴが

取り残されるのを恐れていると思うんです。







<アジャ>

「あなた」も真実の一部なんですよ。






<質問者>

そのあたりが腑に落ちなくて

引っかかっています。

「私」というエゴや思考は

真実とは相容れないものではないだろうかと。








<アジャ>

真実と別々のものなんて

何もないんですよ。

すべては真実の表現の一部なのです。





この会話もそうですね。

言葉は無から発せられています。




思考は無から発せられていると分かっていれば

言葉は真実を表現するものになるかもしれません。






しかし

思考が無から発せられていることを忘れると

観念に囚われることになってしまうんですね。








<質問者>

私はセラピストをしているのですが

エゴの恐れを和らげるようなセラピーで

真実に近づきやすくなることはあるのでしょうか?







<アジャ>

分かりません。



スピリチュアルの師とは思えない答えでしょうが笑

想定通りに進むパターンなど見たことがないからです。







エゴは真実に近づくと

葛藤や恐怖に襲われて

逃げ出そうとするものなんですよ逃げる

真実に近づけば近づくほど

ますます葛藤が起きて怖くなる。






メンタルがとても健全で

幸せな生活をしている人でさえ

真実を垣間見ると

ひどく怖がるんですブタ






健全であろうとなかろうと

どんな人のエゴでも

真実に近づくと非常に怖がって

こうすれば葛藤ナシで順調に進むというパターンは

見たことがないのです。






だから分からないと答えたのです。








そのようなセラピーが

何らかの助けになる人もいるでしょう。

私から人に勧めたことさえありますし

実際に何らかの効果が得られることもあります。


でも必ず効果があるとも言えないので

ハッキリとした答えは出せないのです。







セラピーによって得られるどのような効果も

真実を本当に知ることとは関係無いのですが




「いまここ」に意識を根付かせる助けになるかどうかは

人によるとしか言えないのです。









エゴという言い方もできますが

「私」という身体と心に宿る個性は

私たちの本質を介して

ずっと機能し続けているもので

完全に消えることは決してありません。





個性は誰にでもあっていいものであり

取り除く必要などありませんからね。






エゴが崩壊しても

個性が完全に無くなるわけではなく

葛藤が取り除かれるのです。






そして個性を介して

私たちの根源である本質が動き始めます天使の羽





個性という色づけが加わりますが美術

それは構わないのですよ。









たとえば私がこうして話すことも

私の個性を通して

真実が色付けされてしまうわけですが絵の具

それは仕方の無いことなのです。







私はカリフォルニアで生まれ育って

ずっとアメリカで生活している。

そういう環境によって個性が創られ

個性によって色付けされた真実を話す。






それはどんなマスターでも同じことであり

問題ではないのです。






問題なのは

個性の中にある葛藤によって

真実が歪められることです。








ですから

この相対的な世界の人間でいながら

葛藤が無くなることで






真実が動き始め

実際に真実に生きることができるのです。









真実に生きるために何が必要なのかは

人それぞれとしか言えないので






私はここで

私がやるべきことをやっているだけです。

私の役割だと分かっていることだけをやる。







あなたは

あなたのやるべきことを自由にやればいいのですよ。







あなたが何をすべきで 何をすべきでないとか

セラピーが良いとか悪いとか

そういうことは私に言えることではないのです。





分かりますか?







それは私の役割ではないというだけです。

セラピーは私のやることではない。





だからといって

セラピーが必要無いというわけではなく

私を介しては表現されないけれど

宇宙が他のどこかで表現することであり




やるべき人がやったときに初めて

本当に役に立つものになるのです。











ですから

頭で考えて答えを出そうとするのを

やめてごらんなさい。

思考は何でも答えを出そうとするでしょう?







いくら真実の教えに触れても

真実そのものではなく

話し手の個性によって色づけされた

「色」のほうを信じようとするのです。






そして

「これはOKだけど、これはNG」

「こんなの時間のムダうさぎぃぷー

などと判断するのですね。







真実はそんなものではないんですよ。






真実の花は 私たちを通して

それぞれの咲き方で花開くのです。






私の花と花2 

あなたの花とひまーり

他の誰かの花はチューリップ


それぞれの咲き方で咲くのであり

同じではないのです。








思考はいつも




「これが正しいやり方うさぎ

「あれは間違っている怒

「これは役に立つ、役に立たない」



などと

ひとくくりにしようとしますが







いまここの自分の体験に

意識を戻してください。








何が役に立って

何が役に立たないのかは

いつもそこで

自分で見つけるのです。









<質問者>

話を聴いているうちに気付いたのですが

さっきの質問は

私のエゴが生き残ろうとして

出てきたものだったようです。









<アジャ>

その通りですね。

そして

そういう疑問に正解など無いのです。





正解など無いのだと気付いたとき初めて

自分にとっての答えが見つかるんですよぴかーん






あなたは

あなたがやるべきこと、やりたいことを

自由にやればいいのです。

7 件のコメント:

  1. SECRET: 0
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    今日の記事も納得感がありました。
    とかく悟りというのは究極世捨て人という考えをする人もいて、ちょっとそちらに引っ張られそうな、時もあり、全部が命の顕れだから全部が尊い。世を捨てるのでなくその相反する葛藤から自由になったとき、世界は輝き始める。

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  2. SECRET: 0
    PASS:
    ��greenbirdさん
    「究極の真実以外は邪道。次元が低い( ̄∩ ̄)」
    みたいな感覚を持っていた時期が私もあって
    そんなことを思っていた自分が誰よりも真実から遠ざかっていたことに
    後で気付きました^^;
    真実はひとつでも、真実への道は無数にあって
    この相対的な世界で見るもの聞くもの全てが真実の一部だと
    何にでも等しく価値があることに気付くことですよね。
    ありがとうございます。

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  3. SECRET: 0
    PASS:
    ��Asaminさん
    寛容な、八百万の国ですからね!気楽に。

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  4. SECRET: 0
    PASS:
    アジャシャンティの言葉はいつも本当に深いですね。
    簡単な言葉なのに(簡単な「日本語」になっているのはAsaminさんのおかげですね)切り口がいつもすごく鮮やか。
    アジャの言葉をこうして気軽に勉強できるなんて、本当にありがたいです。
    Asaminさん、ありがとうございます。
    私はまだ目覚めに至っていない身なので、コメントするのも恥ずかしいのですが、Asaminさんの労力に一度感謝を伝えたかったのです。

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  5. SECRET: 0
    PASS:
    ��まかろんさん
    ありがとうございます。
    ここではルールも無く自由に翻訳できるので
    まったく苦ではないのですが
    そんなふうにおっしゃっていただいて感激です(ノ_-。)
    文章の翻訳よりも 特に話し言葉は
    そのまま訳すと分かりにくい日本語になることがよくあるので
    このブログでは映画のセリフを訳す時のように
    重要なポイントから逸れない範囲で
    大胆な意訳や超訳をしていることも多いです。
    ↑の会話の中でアジャが
    「真実に色付けして話している」と言っていますが
    ここでは更に私の色もペタペタと付いているんですよね^^;
    なので訳文そのものよりも
    漂ってくる空気?を感じ取っていただければと願っています。
    こちらこそありがとうございます!

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  6. SECRET: 0
    PASS:
    今日また改めて読ませていただき、なんかとっても なるほど と感じてると同時にホッとしました。

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  7. SECRET: 0
    PASS:
    ��花さん
    深く進めば進むほど
    何でもOKだったと気付いて チカラが抜けてくるんですよね。
    ありがとうございます(^∇^)

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